自転車で山、海へ行く

山、海、街、自転車、船、本のこと

裏六甲 氷瀑ハイク(2022/02/20)

まだ夜が明けきらないプラットホームに停車する神戸電鉄。その朱い車両の輪郭はまっすぐに伸び、ある一点で消失する。中学校の美術の授業で「消失点」という言葉を知った。それ以来、幾何学的なものを目にした瞬間、消失点という言葉がよぎる。待ち合わせの時間よりもずいぶん早くに有馬温泉駅に着いてしまった。じっと待つのも凍えるので、駅周辺をふらふら歩いたりして時間をつぶした。

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7時になり友人らと合流。挨拶もそこそこに紅葉谷登山口へ向かう。今日の目当ては裏六甲の氷瀑である。2月も下旬となり、春めいた日が増えていくのを実感する。氷瀑らしい氷瀑を見にいくなら、今日がラストチャンスといったところだろう。

登山口に着くやいなや、そこには通行止めの看板が道を塞いでいた。どうやら道が崩れているらしい。仕方ないので別のルートを考える。少し遠回りになるが、射場山の方から迂回できる道があるようなので、そちらへ向かった。緩やかなつづら折りが続くその道を、ものの3,40分も歩けば紅葉谷ルートに復帰する。紅葉谷のダム付近には雪が積もり、幻想的な風景がひろがっていた。f:id:massto0421:20220306073003j:image

裏六甲の紅葉谷ルート周辺には氷瀑スポットとなる滝がいくつか点在しているが、なかでも一番有名なのは七曲滝であろう。氷瀑の規模の大きさはもちろん、他の滝に比べアクセスしやすいという事情もある。とはいえ日当たりの悪い裏六甲は、表六甲(南側)に比べ道が凍結しやすい。真冬の裏六甲を歩く際は軽アイゼンの携行が必須である。この日も紅葉谷ルートから七曲滝へと分岐するところで軽アイゼンを装着した。

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七曲滝の氷瀑は溶けている箇所も見られ、7分咲きといったところだが、それでも充分見応えがあった。自然の織りなす芸術を一目見ようと、朝早くから続々と他のハイカーもやって来た。氷瀑の手前で友人らと記念撮影しようと立ち位置を探っていると、私たちのすぐ後ろでバキバキッと鈍い音がした。何事かと思い振り返ると、氷瀑の上の方のつららが落下したようだった。もし氷瀑の真下に立っていたらと思うと背筋が凍る。氷瀑の真下に立たないこと、特に気温が暖かくなりピークを過ぎた頃合いは注意しなければならない。
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さて、お次は七曲滝から少し離れた百間滝へと向かう。一度訪れたことがある友人に案内してもらい滝を目指した。人があまり通っていないのか、踏み跡はなく新雪に足跡をつけながら歩くのが楽しい。百間滝のある谷まで下ったが、こちらは流れる川の様子からして見るからに溶けきっていて、肝心の百間滝も生憎であった。また来年の楽しみができたということにして道を引き返した。
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紅葉谷ルートは標高を増すにつれ雪深くなっていく。私たちは雪玉を投げ合ったり、雪に顔を埋めたりして、ふざけながら登った。六甲山は四季に応じて、さまざまな表情を私たちに魅せてくれる。それが私たちにもたらす安らぎや高揚などの、精神的な恩恵は計り知れない。六甲山の麓で生まれ育ったことに、今更ながら誇りを再認識する今日この頃、もし人生を一線に例えるなら、その消失点は六甲山でありたいと思った。
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裏山ランと元町通り(2022/02/13)

ここ最近、左の腸脛靭帯炎に悩まされ思うように走れなかったが、ようやく回復の兆しが見えはじめ、徐々に距離を伸ばして走れるようになってきた。それで久々に裏山へ走りに行った。本山から高座の滝まで走り、ロックガーデンを登る。途中、道を逸れて岩場を縫いながら向かう先は、奇岩の群れが異様な光景をなす「万物相」と呼ばれるエリアだ。花崗岩が風化によって侵食され、独特のかたちになっている。まるで別の惑星のような光景である。

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万物相から風吹岩に合流し、魚屋道を横切るように七兵衛山の方へと向かう。数年前までこのあたりは鬱蒼と木々が生い茂っていたような記憶があるが、電線工事に伴い木々が伐採され、非常に見通しがよくなった。適度なアップダウンが連続しており、走っていて非常に気持ちのいい道である。人気の魚屋道にくらべて人が少ないのも気に入っている。道中に見られる雌池も、ご覧のとおり池全体が眺められて気分も高揚してくるのである。

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七兵衛山に到着した。山頂には木のベンチがたくさん設置され秘密基地感がある。山頂からは、眼下に東灘の街並みが広がり一望できる。
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七兵衛山から打越峠、十文字山を経て住吉川へと下山した。岡本8丁目の高台も昔からのお気に入りのスポットである。思いだすとこそばゆくなるような、青春の思い出が詰まった場所でもあったりする。f:id:massto0421:20220304095204j:image

はてさて、山から下りたら1往復5kmの住吉川のランニングコースを走り、追い込みをかける。わたしの場合、山に入ると綺麗な風景に見とれて、ついつい立ち止まりがちになってしまう。だからこのようにロードの区間も織り交ぜないと、トレーニングとして十分な負荷をかけられない。今回はトレイル10km、ロード10kmと、いい塩梅のコースを走れた。
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昼からは買い物をしに、自転車で元町へ出向いた。そういえば元町に住む友人に久しく会っていないなぁと思い連絡をとってみた。友人はちょうど暇をしていたそうで来てくれることになった。合流してから少し遅めの昼食だ。元町に来ると必ず立ち寄るカレー屋さんがある。「元町通り三丁目」という、カレー屋らしからぬ店名だが、こちらのキーマカレーと冬限定で出されるスープがとても美味しい。そして何よりオーナーが気さくな方で、食事しながら世間話するのが楽しみなのだ。
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身体もあったまったところで、元町商店街でお買い物。ずっと行ってみたかった「放香堂」というお茶屋さんがあり、そこに併設された喫茶店に入った。放香堂の歴史は古い。元々は京都の宇治でお茶の販売をしていたが、明治7年から神戸でお茶の小売店を構えた。面白いのが、国内でコーヒーを販売した最初のお店がここ放香堂なのである。お茶の小売のかたわら、コーヒー豆の輸入と、店頭での飲食販売も行っていたそうだ。今日は最古のコーヒーの復刻版をいただいた。コーヒーはあまり詳しくないが、スッキリとした飲み味で美味しかった。帰り際、元町通り三丁目のオーナーさんに、お茶を買って持って行った。いつもカレーのトッピングをおまけしてくださるお礼だ。街に住む幸福とは、その地でいかに幸福な人間関係を築けるかだ。そのような文言が木村紺の『神戸在住』に書かれていたような気がする。まさにその通りである。
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貴船のご安航を祈る(2022/02/05)

大和川からの朝焼けが美しい今日は、高専の友人が乗船する「青雲丸」という練習船の見送りに行った。堺の社寮から神戸港までsequelで向かう。スルーアクスルの効果で走り出しが軽く、信号が多い街中でも、きびきびと快走できた。HAT神戸まで来る頃には、太陽はすっかり頭上にきていた。
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図書館の建設工事中だった東遊園地の噴水広場は、ようやく開放されていた。神戸市役所2号館の隣にあった花時計も無事に移設され、久しぶりに陽の目を浴びたそれは、やはり東遊園地になくてはならない存在だと思った。「こども本の森」と名付けられた児童図書館は、安藤忠雄の設計である。緩やかな曲線美と透明なガラス張りの窓が美しく、居留地の洗練された街並みによく馴染んでいる。全面窓ガラスというつくりは、紫外線から本を守るのに不都合ではないかとの意見も多々あるが、如何なものだろうか。流石にその辺は考慮されていると願うばかりである。
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新港第一突堤には友人が乗船する「青雲丸」が太陽の下、堂々と接岸していた。甲板では海技学生と教官と思わしき人が、忙しなく出航に向けての作業に取り組まれていた。私はそのへんに自転車を停めて、出港までの30分間、じっとその様子を眺めていた。
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友人らと「帆船フェスティバル」に訪れたのは5年前のことである。神戸開港150周年に合わせて開催されたそのイベントに、船好きの友人らと参加したのだった。海王丸日本丸といった国内の帆船に加え、ロシアやカナダの珍しい帆船も神戸港にやってきていて、神戸港一体は往時の活気を取り戻したように、国際色豊かな空気が流れていた。そのなかには青雲丸もあり、私たちは船内の見学をした。まさかその5年後に、友人がその船に乗って海に出るとは思いもしなかったけれど。

やがて青雲丸はタグボートに牽引されて出港した。港にはボーッと重厚な汽笛がひとつふたつと響き渡り、船は徐々に陸から離れていった。私はザックから取り出したUW旗を掲げ、甲板で手を振る海技学生たちの安航を祈った。青雲丸のマストにはUW1の旗がなびいていた。これから鹿児島へ向かうらしい。
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辺境・近境(2022/02/27)

運ばれてきたシーフード・ピザには「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついている。その数字の意味がしばらくのあいだうまく呑み込めない。958,816?僕はそこにいったいどのようなメッセージを読みとるべきなのだろう?そういえばガールフレンドと何度かこの店に来て、同じように冷たいビールを飲み、番号のついた焼きたてのピザを食べた。僕らは将来についていろんなことを話した。そこで口にされたすべての予測は、どれもこれも見事に外れてしまったけれど……。でもそれは大昔の話だ。まだここにちゃんと海があって、山があった頃の話だ。

いまから25年前、震災から2年経った神戸の街を歩いた村上春樹は、その夜、三宮のイタリアン料理店「ピノッキオ」に入店しピザを食べたようだ。先週末、友人と一緒に訪れたお店が、そのような由縁のあるところだと知ったのは、つい昨日のことである。

私たちもピザを食べながら、将来について話をしていた。まだ見ぬ将来について、不安げながらも強い意志を持って語る友人の姿が好きだった。だから他の話題、ことさら友人の所属する大学の、ゼミ生に対しての愚痴などは、ふんふんと適当に聞き流して相槌をとっていた。彼女の口から他人の悪口など聞きたくなかったから。たぶん向こうもそれを察していた。

お互い地元の神戸が好きで、ゆくゆくは神戸のために働きたいと心から願っている。まだここにちゃんと海があって、山がある限り、その願いは叶えられるはずだ。かつて村上春樹の目に映った海と山は、1425,083枚目のピザが焼かれた今でも、神戸の街を照らしつづけているのだから。f:id:massto0421:20220302171054j:image

城の崎にて(2022/01/26)

生産至上主義に跳飛ばされて怪我をした、その後養生に、同期8人で但馬の城崎温泉へ出掛けた。踵の痛みが足底筋膜炎になるようであれば致命傷になりかねないが、そんな事はあるまいと医者に云われた。二三年で出なければ後は心配いらない、とにかく要心は肝心だからといわれて、それで来た。三週間以上ー出来れば五週間位居たいものだと考えて来た。しかし我々に用意された時間はたったの二日だけだった。

頭は未だ何だか明瞭しない。現実逃避が烈しくなった。然し気分は近年になく静まって、落ちついたいい気持がしていた。

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オミクロン株が大流行する世情を考えると、あまり大きな声では言えないが、会社の同期と城崎温泉へ出かけた。道中、出石でそば打ち体験をしたり、玄武洞へ立ち寄ったり、とても楽しい旅行だった。帰る間際おみやげを物色していて温泉街の書店にふらりと立ち寄ると、案の定、志賀直哉小僧の神様/城崎にて』の新潮文庫が7,8冊並んでいた。品のかけらもないその光景を目の当たりにしながらも、やはり強烈な誘惑には逆らえず、書棚から一冊取り出し会計へ向かった。f:id:massto0421:20220302095428j:image

滝畑グラベルライド(2022/01/30)

いつもは避けるあの川沿いの砂利道を、今日はためらいなく猛進する。荒れた路面から伝わる振動で身体を震わせながら、波打つバイクを“どうどう”と乗りこなす感覚は新鮮だった。f:id:massto0421:20220302093052j:image

昨日、心斎橋の自転車店「cycle&life funcle」さんで「JAMIS SEQUEL S3」というフルリジッドMTBが納車された。そのバイクを駆って、岩湧山のふもとにある滝畑ダムへ向かう。ロードバイクの軽さに慣れきった脚には、47cのタイヤでそれなりのスピードを維持しながら巡航するのは苦しかった。途中で「そもそもスピードを求めるような自転車ではなかったな」と本来のバイクの用途を思い出し、巡航速度は25km/hほどに落ち着く。社寮から別所草部線をそのまま南下していくと、堺かつらぎ線に合流する。まもなくして、天野山カントリークラブへと続く横道にそれ、最初のヒルクライムに突入する。斜度が増したとたんバイクが進まなくなり、脚にかかる負担がドッと増す。12.7kgという車体の重さがもろに効いている。最初から想定していたことだが、しんどいものはしんどい。「筋トレにはもってこいやなぁ」と半ばやけくそ気味になりながらも、ギアを一番軽くしてなんとか峠を越えた。とはいえ今回のコース全体でみると、天野山のヒルクライムは序の口に過ぎないので先が思いやられる。束の間の下り区間も終わり、すぐに難所の坂道が待ち受ける。金剛山寺から関西サイクルセンターを通過し、滝畑ダムへ向かうこの坂道の距離は約4km、最大斜度は15%ほどだろうか。数メートル前に、ロードバイクに乗った中年のおじさんがヨロヨロと登っているが、それにも追いつかない次第である。

どうにかこうにか滝畑ダムに辿り着くころには、当初登るつもりだった岩湧山への登高意欲はすっかり失せていた。夏頃は青々とした山並みも、冬真っ只中のいま、ひっそりと寒さに耐えているかのような深い緑色をしていた。その山並みに近しい色をしたsequelの車体は、風景の一部となって見事に馴染んでいた。f:id:massto0421:20220302093903j:image

ここ最近は降水量が少なく、ダムの水位も底が見えそうなほど下がっている。このダム湖に沈んだ村の痕跡を探したが、それらしきものは見つからない。そんな風に珍しいものは無いかと、ダム湖の周りをゆるゆると走らせていると、今まで気にも留めなかったひとつの鳥居が目に入った。私は近くに自転車を停めて、鳥居の先に続く急な石段を登っていった。f:id:massto0421:20220302091457j:imagef:id:massto0421:20220302091537j:image

階段の先には思いもよらず、立派な社が建っていた。「天神社」と呼ばれるこの神社では大梵天王を御神祭として祀っているようである。境内に立つ木々の隙間から滝畑ダムが望めて、少し得をしたような気分になれた。今後も、ロードバイクのスピードでは気づかなかった新しい出会いが待っていると思うと、車体が少し重たいくらいの欠点は霞んで見えるし、むしろその鈍重ささえ愛おしく思えてくるから、私も立派な自転車バカなのであろう。f:id:massto0421:20220302093628j:image

 

風の便り(2022/01/29)

君が所帯を持ったことも、子供が生まれたことも、風の便りに聞きました。この世の中には、風の便りというものがあって、こちらがべつに求めることをしないでも、消息を聞かせてくれるものですね。なにげなく齎されたものがいちばんいい。どこかの国の古い諺に、こんなのがなかったかしら。日頃会いすぎるほど人に会い、席の暖まらぬ思いばかりしていると、そんなたまの便りが懐かしくて。

久しぶりに小山清『風の便り』を開いた。冒頭の「夕張の友」を読むと、暫くざわついていた心が少しだけ落ちついた。本に救われたことは一度や二度ではない。静謐な文章から慰安をもらい、ときには熱量のある文章から勇気をもらう。「好きな人のことを褒めることで生涯を送りたい」と著者が思うように、自分も周りの人のことを想って生きていきたい。しかし、そうは言ってもこれが中々難しいのである。忙しない日常の中では、自分の面倒を見ることに精一杯で、ふとした瞬間に自分本位となっていることに気づき嫌気がさす。日が長くなればいくらか気分も良くなるのだろう。早く暖かな春が訪れてほしいが、地元の友人たちも社会人となり、ますます散り散りになっていく。その逃れられない現実をおもうと未だ憂鬱とした日々は続きそうだ。笑って友人の新たな門出を祝福するために、いまは淡々と生活をこなしていく。f:id:massto0421:20220129204458j:image