茄子がままに

週末の山遊び、街遊び、自転車遊びのこと。ホームマウンテンは六甲山です。

定禅寺通り(2022/07/18)

たとえば青色と水色の間に何百種類もの色が存在するように、「寂しい」「悲しい」「切ない」の間に何百種類の感情の色彩があったとしたら。同じように、友達と恋人、恋人と家族、生活と仕事、その間に何百種類もの関係や状態の色があったとしたら。それは大抵微細に過ぎ、微細に過ぎて、言葉にできない。

そして言葉にできないものを世間は容認してくれない。

しかし言葉にできないものを是が非でも守ることが、もし私たちに課された使命であったとしたら。その世間になんとなれば対抗するのが、もし私たちに課された運命であったとしたら。

晴れているような曇りの日、梅雨と真夏のあいだの日、夕方と夜のあいだの時間帯、少しばかりの風でざわめく街路樹の下、ベンチに座って有るような無いような未来のことを想った。通り過ぎていく自動車の音も、対面に建つ煤けたビルの窓の形も、私たちが話している言葉の輪郭さえも、何もかもが今日の天気のように霞んでぼやけていた。f:id:massto0421:20220901104810j:image