私たちの命の長さでは測り切れない夥しい年月の、時には悲しくなるほどの冷たさを内に隠した岩の峰。しかもそれは永遠不変の姿の存在としてではなく、老いたる人の顔に深々と刻まれた皺に似た亀裂を、岩の物語として洵にあからさまに見せている。
串田孫一『山のパンセ』岩の物語より
7月31日、我々三人は憧れの岩峰のいただきに自らの足で立った。視界を遮るものは何一つなく、どこまでもどこまでも空と山とが広がり水平線に消えていく。この世とは思われない光景にただただ息を呑むばかりで、登頂の感慨にふける隙間もない。平蔵のコルや前劔などの難所で岩に取り付いているときは、立山曼荼羅で「地獄の針の山」と称されるのも納得のいく様であったが、山頂から広がる光景はどちらかというと極楽浄土に近い。地獄と極楽浄土、どちらにせよ無事に現世に戻ってこられたのは、同行してくれた二人の友人のおかげである事は間違いないだろう。