10/23 雨のち晴れ
3ヶ月と17日にわたる山小屋生活が終わり、岐阜は飛騨高山に下山してきました。行き交う人々の雑踏、街灯のあかり、コンビニの明るさと品揃えの多さ、自動車のエンジン音、飲食店からただよう匂い、自転車のチェーンの擦れる音、入山するまで気にも留めなかった、ありとあらゆる街の喧騒が五感を刺激して奇妙な感じがします。
“始まりがあれば終わりもある” この言葉をこれほどまでに実感したことは今までなかったかもしれません。朝起きて厨房に入ると早番の人たちがせっせと働いていて、食卓には朝ごはんが並んでいる。長椅子に座ってご飯を食べていると、みんなが寝ぼけ眼を擦りながらぞろぞろと集まってきて、同じように食卓を囲む。そんな当たり前の日々が終わってしまったことに、未だ実感が湧かずにいます。朝焼けでオレンジ色に染まる鷲羽岳も、小屋の背後にすわる双六岳も、もう見えません。この4ヶ月足らずの生活が日常から非日常に切り替わる瞬間は想像以上に呆気なかった。
そして何より、共に働き生活していた小屋の仲間たちの姿が消えてしまったことに、言いようもない寂しさを感じます。高山の街を歩きながら、街にはこんなにも人がいるのに、山で暮らしていたときよりも孤独を感じるのはなぜなのだろうかと困惑しています。この孤独感が懐かしく思えるようになるまでどれほどの時間がかかるのか、そのときまで自分は耐えうるのだろうかと不安は尽きません。でもそれは皆んな同じ気持ちなのだろうと考えると少しだけ気持ちが楽にもなります。
今夜は高山駅から4kmほど離れた場所にある「ひだまりの湯」という温泉施設に宿泊します。その途中に「むくの木」という定食屋さんがあったので入店し唐揚げ定食を食べました。お店を切り盛りされていたご夫婦の笑顔が素敵で癒されました。二人とも目尻に皺を寄せて笑う様子がいいなと思いました。
「ひだまりの湯」についてザックを下ろし、施設のロビーのソファに座ってこの文章を書いています。ときおり、小屋の仲間のひとりと書いていた交換ノートを読み返しながら。彼女のやさしい字と言葉と絵は、読んでいると心が温かくなって何度も読み返してしまいます。この交換ノートと、撮りためた山小屋の写真を見返すたびに、この山小屋生活の記憶がよみがえることを願ってやみません。