去年の6月、梅の収穫バイトでお世話になった若狭の梅農家さんの訃報が昨日届いた。亡くなられたのはもう一ヶ月も前のことで、農作業中の事故だったそうだ。ショックで言葉が出てこなかった。
お世話になった期間は1週間にも満たないほどだったが、一緒に農作業をするなかで見える彼の人柄の良さや、梅作りにかける情熱は私自身にとって刺激になった。最終日には梅と氷砂糖をいっぱい詰めた梅シロップの容器と、塩のみで漬けた白干し梅をお土産に渡してくださった。11月の収穫祭で若狭へ遊びに行ったときに再会し、いろいろと近況報告をして笑ってお別れできたのは今にして思えば幸いだった。まさかそれが最後になるとは思わなかったけれども。
彼の訃報を聞いて “死” について考えた。この世に生きる全ての動植物には必ず死が訪れる。それは自然界では特別なことではなく、とても自然なことである。ではなぜ我々人間は死を特別視するのだろうか。何故それを自然なものとして受け入れ難いのだろうか。あまりにも突然だったから?例えば老衰や病気などでその兆候がある場合は受け入れられるのか?私は身近な人を亡くした経験が少ないため、いまいちその辺りの実感が分からない。山小屋の友人は若いころに父親を亡くしている。また別の友人はいま現在、父親が末期癌で闘病している。そんな話を聞いて私は友人たちにどのような言葉をかけるべきなのか分からない。
梅の花が咲くころに若狭を訪れ、湖畔にある梅農園を見に行こう。そうすれば何か分かるかもしれない。
