自転車で山、海へ行く

山、海、街、自転車、船、本のこと

霊仙山クリパ山行(2021/12/25)

雪山デビューとして昨年の12月25日に登った霊仙山(滋賀県)では、かなり痛い目に遭った。比較的気温が高かった当日、米原へと走る琵琶湖線の車窓から外の風景をみても、あまり雪の気配は感じられなかった。念のため持ってきた仰々しいピッケルを見てると苦笑せざるを得ない。f:id:massto0421:20220118171256j:image

米原駅で下車。乗合タクシー醒井養鱒場まで向かう。そこからしばらく舗装路を歩き登山口に着くと、雨がパラパラと降り始める。次第に雨は本降りになり、先行きの不安に苛まれながら登っていった。登山道は雪解けと雨でドロドロになっていてスリップし放題。踏ん張りの効かない登りに苦戦を強いられた。稜線に出るとさすがに雪が30cmほど積もっていて、強風の中、友人の会社の先輩に貸していただいたスノーシューを履いて山頂を目指した。体感温度は-5℃くらい。気温よりも吹き荒れる風がみるみると体温を奪い、山頂につく頃には手の感覚が無くなりかけていた。山頂付近は特有のカルスト台地が剥き出しになっていて、この辺りに吹く風の強さを想像できる。山頂での記念撮影もそこそこに、9合目あたりの避難小屋に文字どおり避難した。f:id:massto0421:20220118171429j:image

「クリスマスやからケーキ持っていこうぜ」とアホな提案をした友人は、本当にケーキを持ってきていた。避難小屋でそのケーキを食べ、ささやかにクリスマスムードを味わう。いちごの酸味とクリームの甘さが疲れた身体に沁みて非常に美味しかったが、クリスマスに避難小屋で男2人ケーキをつつく様は、地獄そのものだった。友人のアホな提案に対し「それやったらワインも持っていくわ」と、これまたアホな提案をした自分も神戸ワインのミニグラスを持ってきていたが「流石にこの状況でワインはまずいだろう」と珍しく意見が一致し、大人しくザックの中にしまっておいた。f:id:massto0421:20220118171544j:image

30分ほど避難小屋で休憩し、ようやく人心地がついた。外に出ると相変わらず寒いが、風は少し弱まっており安心した。時刻は14時40分で計画より1時間ほど遅れている。日没までには、不明瞭な雪道から逃れたかったので先を急ぐ。下山は柏原駅に下りるルートをとった。北側の斜面という地理的な影響か、登ってきた道よりも雪深く、思うようにスピードが上がらない。5合目あたりでようやく雪も少なくなってきたので、近くにあった避難小屋で下道用のトレランシューズに履き替え、ペースアップを図った。

その甲斐あって、なんとか日没までに2合目あたりまで下りることが出来た。この辺りになると、もう雪は残っておらず道はハッキリしている。ヘッドライトを点け、最後まで怪我をしないように下っていった。ようやく町中に出てきたので、ヘッドライトを消してザックにしまう。乗ろうと思っていた18時発の電車にも無事間に合いそうだ。街灯のない舗装路を駅に向かってトボトボ歩いていく。その刹那、視線が急にガクッと落ち、なぜか目の前には道路のアスファルトがあった。右太ももの付け根に鈍痛が走る。状況を理解するのに数秒かかり、ようやく側溝に落ちたことに気づいた。側溝に落ちるのは、5歳のころ、祖母の家の近くで後ろ向きに歩いていて落ちたとき以来だ。その頃の記憶が鮮明に甦ってきたが、感傷に浸る余裕などなく、ただただ虚しさと鈍痛のみを引きずりながらの帰路となった。帰りの電車の中で、ザックのショルダーポケットに入れておいたはずのデジタルカメラが無いことにも気付き、泣きっ面に蜂とはまさにこういうことだなァと、やるせない気持ちになった。「酒、飲まずにはいられないッッ!」と脳内でディオの声が再生され、私はザックから神戸ワインのミニグラスをを取り出し、友人と飲み交わすのであった。

f:id:massto0421:20220118151011j:imagef:id:massto0421:20220120231303j:image

知ろうとする姿勢(2022/01/17)

昨日は午前中にタウンガイドを済ませ、午後からジュンク堂三宮店におもむいた。5階で開催される「阪神淡路大震災から27年」を語り継ぐトークイベントを聴くためだ。登壇者は年齢も境遇も異なる3人の方々。それぞれ立場が異なるなか、震災から27年目に思うことを話されていたので、この場を借りて少し紹介させていただきたい。

 

スマホで見る阪神淡路大震災』著者 木戸崇之さん

「災害が起きたとき、助ける人、助けられる人、貴方ならどちらの立場になりますか」

震災について学校で講演するとき、木戸さんは必ず子供たちにこう問いかけるそうだ。「助ける人」はごく僅かで、殆どの人は「助けられる人」の方に手を挙げる。この現状に危機感を募らせながらも、木戸さんは「助ける人になって下さい。」と必死に説く。

1990年の国内の年齢分布は20〜64歳の割合が62%、65歳〜は12%だった。27年前に被災された高齢者の多くは、近隣に住む労働人口年代の人々によって救助された。しかし2025年の予想年齢分布は、20〜64歳が54%と減少するのに対し、65歳〜は30%を占めることになる。この状況を踏まえると、将来同規模の震災が発生したときの被害は、27年前以上に及ぶのではないかと危惧されている。

では「助ける人」になるには、どうすればよいのか。木戸さん曰くもっとも大事なのは“準備”だそうだ。例えば地震発生時に家具が倒れてきて身動きが取れなくなったとする。この瞬間、その人は「助けられる人」になってしまう。あるいは、食器棚から落ちて割れた食器の破片を踏み、足裏を切創してしまう。これも「助けられる人」になってしまう。しかし事前に準備をしておけば「助けられる人」にはならない。家具が倒れてこないよう固定する。素足で歩かないようにベッド周辺にスリッパを用意しておく。たったこれだけの準備で「助けられる人」は「助ける人」になり、多くの命が救われるのである。準備を怠るとその逆になるのは言うまでもないだろう。

また、朝日放送記者という立場として、災害報道のあり方についての苦悩もお話しされていた。ヘリコプターから被災した街の様子を空撮したり、避難所で被災された方々にインタビューしたり、被災地の様子を全国民に伝えるのは報道機関の使命である。しかしこれらの行いを、自分含め一般人は“マスゴミ”と揶揄し非難する風潮がある。阪神淡路の時はヘリコプターの音がうるさく、埋もれた人の声を聞き取る障害となった。また避難所のインタビューでは、被災者の心に寄り添わない無遠慮な質問も多々あったとよく耳にする。これらの話を聞くと、確かに私たち一般人からすれば、前述したような批判的な目線を向けたくなる。しかし報道機関には「放送法第108条」により、被災地の様子を全国民に伝える義務があるそうだ。この事実はほとんど知られておらず、私もこのトークイベントで初めて知った。大学で講演する際にこの事実を大学生に伝えると、皆一様に驚き、それまでメディアに批判的だった学生も災害報道に理解を示そうとするそうだ。ただし放送法を免罪符にするつもりはなく、今の災害報道のあり方についても見直す必要があるとも木戸さんは話していた。

スマホで見る阪神淡路大震災 災害映像がつむぐ未来への教訓 1995.1.17の通販/木戸 崇之/朝日放送テレビ株式会社 - 紙の本:honto本の通販ストア

 

『希望を握りしめて』著者 牧秀一さん

「震災障害者」という言葉をみなさんご存知だろうか。トークイベント後、ネットで検索したところ、牧さんが10年前に書かれた「震災障害者の今 ー阪神淡路大震災から17年」と題された報告書がヒットしたので引用させてもらう。https://www.kwansei.ac.jp/cms/kwansei_fukkou/file/research/bulletin/saigaifukkou_03/book_010_maki.pdf

震災障害者とは、阪神淡路大震災(1995 年)が起因で障害を持った人のこと。とりわけ問題となっている点は、 社会復帰が困難または出来なくなった人が、この15年間その存在が忘れられ取り残されてきたことである。

“15年間その存在が忘れられ取り残されてきた”とは、どういうことなのか。神戸市は震災障害者の人数を調査する際、抽出条件を以下のように定義づけた。それは「身体障害者手帳交付申請書添付の医師の診断書・意見書で、疾病・外傷発生年月日が「平成7年1月17日」となっている。又は、障害の原因が「震災」となっているもの」としている。その調査の結果、328名の震災障害者が抽出された。しかしその中には「知的・精神障害者」「県外居住者」「障害の原因に「震災」と明記されていない人(例:圧迫)」「発生年月日がズレている人」の数は含まれていない。神戸市は 5 年に1度、市内在住の障害者に対する「生活実態調査」を実施している。2010年3月、約96000人の身体・知的・精神障害を持つ全ての人に障害原因を尋ねた。その結果、2.8~3%の人 が「震災」と答えた。単純計算すると 2,700 名となる。つまり神戸市の調査から漏れた震災障害者は、先程の328名を差し引くと2000人以上にも及ぶことになるのである。これが先ほどの“15年間その存在が忘れられ取り残されてきた”の真意である。

牧さんは現在、震災直後に開設された「よろず相談室」を続け、震災障害者の心のケアに取り組まれている。具体的には、震災高齢者の訪問活動と、震災障害者の集いの開催。集いでは、同じ悩みをもつ人々が交流することで、前向きな気持ちになれるのを後押しする、非常に貴重な機会となるそうだ。

私自身、日常生活にはほぼ支障がない程度ではあるが身体障害を持っているため、他人事とは思えなかった。自治体から忘れ去られ、自分たちの存在は一体何なのか、と自問する震災障害者が今後出てこないように注視していく必要がある。まず私たちに出来るのは、そのような苦悩を持つ方々の存在を知ることである。

希望を握りしめて 阪神淡路大震災から25年を語りあうの通販/牧 秀一 - 紙の本:honto本の通販ストア


『住むこと 生きること 追い出すこと』著者 市川英恵さん

震災当時、まだ1歳だった市川さんは姫路で生まれ育ったため、特に震災を意識することなく日々を送ってきた。大学に入学する前年の2011年3月、東日本大震災が発生。そこで「大学に入ったら東北に関わりたい」と考えるようになったという。神戸大学に入学後、阪神淡路の被災者を支援するボランティアサークルに出会い、「東北に行ったときに何か役立つかも」という思いで入会した。サークルの活動で被災者と話をしていく中で、借り上げ住宅の追い出し問題について知る。

借り上げ住宅あらため、借上市営住宅とはどういう仕組みなのか、神戸市のHPから引用させてもらう。https://www.city.kobe.lg.jp/a74622/kurashi/sumai/jutaku/information/publichouse/kariage/index.html

阪神淡路大震災により住宅を失った被災者に対して、早急かつ大量に住宅を確保するべく、20年の期限で民間や都市再生機構(UR)等から賃貸マンションを借り上げて緊急的に市営住宅として供給したものです。

本のタイトルにもある「追い出すこと」とは、借上市営住宅の入居期限を満了した入居者に、住宅の明け渡しを命ずることである。しかし明け渡しを巡って、神戸市と入居者の間で今もなお対立が生まれている。

追い出し問題とは。借上市営住宅には20年という入居期限が設けられているが、その基となる当時の「借上公営住宅制度」にはいくつか欠陥があった。詳細を記すと長くなるので割愛するが、結果として、神戸市が入居者に対して、入居期限に関する充分な事前通知を行わなかったのがことの発端となる。

入居期限について充分に知らされていないまま20年が経ち、いきなり行政から明け渡しを命じられる入居者も中にはいるそうだ。高齢となった入居者は容易に引っ越すことは出来ない。部屋のなかでも歩行器を使っているNさんの場合、歩行器の使用を前提として家具がレイアウトされており、さまざまな工夫をしながら生活を送っている。そのような事情をよく知る市川さんは「その部屋でしか生きていけないと思う。退去はその人の生活を奪うことになる。」と話した。

阪神淡路の被災地となった宝塚市伊丹市でも同様の問題は起こっているが、入居期限を延長するなどして対応している。もちろん自治体の大きさや被害の規模は比べ物にならないが、本来、弱者に寄り添うべき行政(神戸市)が、彼らの生活を脅かすようなことは、絶対にあってはならないと私は思う。

住むこと生きること追い出すこと 9人に聞く借上復興住宅の通販/市川 英恵/兵庫県震災復興研究センター - 紙の本:honto本の通販ストア

 

あの日から27年経った今でも、震災が残した傷跡は私たちの見えないところで燻り続けている。これから起こりうる災害時に被災者が同じ悩みを持たないためにも、私たちは「知ろうとする姿勢」を崩してはならないのだ。f:id:massto0421:20220117192416j:image

小野アルプス縦走(2022/01/03)

比較的温暖な気候の神戸市でも、北区となると話は変わってくる。「新神戸トンネルを抜けると雪国であった」と揶揄されがちだが、笑い話ではない。この日も雪は降っていないものの、ツンと冷たい空気がはりつめる朝だった。僕は待ち合わせ場所のコンビニでホットコーヒーを飲んで体を温めていた。

今日は学生の頃バイトしてた自転車屋の店長と常連さん2人の、合計4人で小野アルプスへ登りに行く。神戸市北区のローソン神戸山田町中店で待ち合わせし、常連さんの車2台に僕と店長がそれぞれ乗り込んで小野市へ向かった。

f:id:massto0421:20220108121656j:image

今回の山行のゴール地点となる「鴨池」で1台車を停め、もう1台の車に乗り換えて今度はスタート地点の「白雲谷温泉ゆぴか」へ向かう。8:30ごろに登山を開始した。
f:id:massto0421:20220108121711j:image

小野アルプス縦走は全長7.9kmで、コースタイムは約5時間となる。アルプスの名の通り、岩場を交えた壮観な景色が楽しめるらしく、自分も前々から登ってみたいと思っていた。また、標高100〜200mの山々が連なるため、日本一標高が低いアルプスとも呼ばれており、初心者でも縦走を楽しめるのも魅力のひとつである。

登り始めから断続的にアップダウンが続くので、息を切らさないようマイペースを維持して歩いていく。走りやすそうなシングルトラックもあるため、縦走コースの往復回数を調整すればトレイルランの練習にも良さそうな道だった。

f:id:massto0421:20220108121650j:image

いくつか山を超えると見晴らしの良い山頂にやってきた。アンテナ山というユニークな名の山頂からは、今まで歩いてきた山々が見渡せる。自分の歩いた軌跡を確認することこそ縦走の醍醐味であろう。山頂でお会いした地元の方はイヌと一緒に登りにきていた。

f:id:massto0421:20220108121701j:imagef:id:massto0421:20220108121644j:image

アンテナ山の次に着いたのは惣山。小野富士とも呼ばれているらしい。近くの展望スポットからは、小野アルプスの核心部となる紅山の岩場が見える。遠くから見ても相当な傾斜で、なかなか登りがいがありそうだ。f:id:massto0421:20220116170350j:imagef:id:massto0421:20220116170340j:image

惣山の少し急な下りを終えるとすぐに登り返しがやってくる。家族連れも多く、小さい子どもは大人よりも軽やかな足取りで山道を登っていた。家族でも気軽に登れる山があるのはいいな。そんなことを思いながら登っていると視界が開け、目の前には紅山の岩場が立ちはだかっていた。この時点で僕のワクワクは頂点に達し、堪えきれず「先行ってきます!」とメンバーさん達に言い残して走っていった。
f:id:massto0421:20220116170330j:image

岩場なだけあって二足で走るのはすぐに難しくなり、途中で手も使ってよじ登る。安山岩なので靴のグリップはよく効き、面白いほどに岩場を直登できる。しかし傾斜が傾斜なので、中腹あたりで足に乳酸がたまり少しめげそうになる。ペースを調整してなんとか頂上まで走り切ることができた。とは言っても、息が限界で山頂に着くなりへたり込んでしまった。この出し尽くした感じが非常に気持ちよかった。

f:id:massto0421:20220116170335j:imagef:id:massto0421:20220116170346j:image

息を整えてから中腹まできた道を引き返した。店長は北アルプスにもよく登っていて岩場に慣れているので、他のメンバーのサポートに回っている。自分もそこに加わることにした。常連さん1人は岩場ではなく、巻道を登って山頂に向かったようだ。もう1人の常連さんは果敢に岩場の直登コースを攻めていた。確実に一歩一歩登っていき、全員無事に紅山の山頂に到着できた。登ってきた岩場を振り返り、充実感溢れる山歩きの余韻に浸りながら下山した。f:id:massto0421:20220116170325j:imagef:id:massto0421:20220116171742j:image

垂水ナリエなり(2022/01/02)

この日は高専の友人と、友人の彼女さんの3人で王子公園近くの「Shin's Burger(シンズバーガー)」に来ていた。友人はいま徳島に在住しているが、地元がここ灘区の王子公園あたりで、学生のころはよく一緒にシンズバーガーに来ていた。友人の彼女さんは自分たちより一つ年上で、愛媛県出身だそうだ。2人の間にながれる心地良い空気感がこちらにも伝わってきて、幸せな気持ちになれる。この幸せ者め!と胸の中で叱咤しながらハンバーガーにかぶりついた。アゴが攣りそうになった。f:id:massto0421:20220106194838j:image

店主のシンさんも交えていろんな話をした。さいきん灘区でホットな話題といえば王子公園周辺の再整備。動物園や周辺のスポーツ施設の老朽化に伴い、王子公園の再整備を検討していると神戸市から発表があったのだ。再整備の素案には動物園の改築だけでなく、王子スタジアムを無くして大学を誘致するという内容が盛り込まれていた。地元住人からは反対意見も多く、市民たちが主催して緊急ミーティングが開かれたりもしている。自分は部外者なのであまり口を挟まないようにしている。よく「昭和レトロで懐かしい風景を壊さないで!」といった意見が挙がったりするが、このような感傷的な意見は無視して良いと思う。街は時代の流れに沿って移り変わっていくものだから。これから生まれてくる子供達が新しく生まれ変わった王子動物園で思い出を育み、大人になったとき懐かしんでもらえるようになれば、それで良いんじゃないだろうか。知らんけど。とりあえず神戸文学館が無くならんかったら何でもいいや。それだけ。f:id:massto0421:20220106194851j:image

店を出てお二方と別れる。自転車で来ていたのでそのまま山手沿いに三宮へ向かった。初売りが始まっているのか、三宮は人手が多い。信号待ちをしている人の群れを横目に、フラワーロードを颯爽と下り抜けていくのは何とも愉快である。神戸港にやってきた。新港第一突堤に新しくできた水族館「アトア」の客だろうか。以前までなら考えられないほど、多くの人で第一突堤は賑わっている。アトアに関しても様々な意見があるが、この集客効果は侮れない。あとは市民から長年親しまれるような施設になればいいのだが…。f:id:massto0421:20220106194843j:image

これから再度ドライブウェイでも登りに行こうかと考え、北野まで自転車を走らせたが、妙法寺の友人に預かってもらっていたピッケルを回収せねばならないことを思い出した。今晩も別の用事があるので再度山に行くのは時間的に厳しそうだ。そのまま西に方向転換した。長田神社あたりまで来ると、学生時代に通っていた自転車通学のコースに合流する。板宿本通商店街前の交差点を通り、妙法寺川沿いの坂道(神戸三木線)を北上していく。しばらくして友人のマンションに着いた。友人は東北へ旅行してるそうなので、ピッケルはメーターボックスの中に入れておいてもらっている。見慣れない男がメーターボックスを開けてピッケルを回収する絵面はどう考えても不審極まりない。自分がマンションの住人でそのような男を見かけたら、まず間違いなく110番をかける。幸い周りに人がいなくてよかった。メーターボックスに、ピッケルの代わりに友人の好物のチキンラーメンを入れておいた。

せっかく妙法寺まで来たので、総合運動公園にある母校にも訪ねた。建物の中央が吹き抜けになっている本校舎は相変わらず寒そうで、身を縮こませながら授業の教材を持って廊下を歩いていたことが懐かしまれる。グラウンドの方からは部活動をしているのだろうか、威勢のいいかけ声が聞こえてきた。時期的におそらくラグビー部だろう。お気に入りのトイレで用を足して帰った。こんなOBは嫌だ。f:id:massto0421:20220106194847j:imagef:id:massto0421:20220107115734j:image

夜は電車で垂水へ。高専自転車競技部の友人と久しぶりに会った。東京の大手ゼネコンに勤める彼は残業時間がえげつなく、話を聞いていてとても心配になった。彼は体力面でも精神面でも非常にタフで明るい男なのだが、そんな彼でもそりが合わない上司との関係に嫌気がさしているという。プライベートの方も中々の災難に見舞われており、彼には申し訳ないがその災難っぷりにめちゃくちゃ笑ってしまった。善良なこころにつけ込んで悪事を働く輩はどこでもいるようで、笑ってしまったものの何だかやり切れない想いである。ご飯を食べ終わってから垂水のアウトレットパークあたりを歩いた。虹色にライトアップされた明石海峡大橋や、対岸に見える淡路島の光を見ていると前向きな気持ちになれた。f:id:massto0421:20220106194831j:imagef:id:massto0421:20220106194835j:imagef:id:massto0421:20220107120536j:image

点と点のつきあい(2022/01/06)

「点と点のつきあい」

私はこのごろ、こう思う。

人は、点と点のつきあいでよいのだ。

全貌くまなく捉える線のつきあいでなくともよいのだ。自分にとっての、「その人」というだけでよいのではないか。

小さい一点だけの「真」でよい、それを通しての人として捉えるのがよい。だから私にとってはいい人であっても、他の人にはよからぬ人ということもあろうし、その反対の場合もあるだろう。

反対の場合もあると知りつつ、私は点の部分で、その人をいとおしみ、親しんでいくであろう。

田辺聖子さんの『老いてこそ上機嫌』という本から引用させてもらった。この本を読んだとき、人付き合いの何たるかを知ることが出来たような気がした。他人のすべてを知るのは無理な話で、すべてを知ろうとすること自体ごうまんである。逆の場合も然り、自分の全てを知ってもらおうとするのも、相手方にかかる負担が大きい。どれだけ気心の知れた間柄であろうと、決して人依存になるべからず。

f:id:massto0421:20220106211535j:image

保久良山とぼくらの街(2022/01/01)

明けましておめでとうございます。昨年は社会人2年目にして仕事が本格化し始め、平日は息つく暇もありませんでした。会社から帰ってきては布団に潜り込み、気づけば日付が変わっている。そんな毎日を過ごしていました。それでも無事に2021年を乗り越えられたのは、週末に山や街で遊んでくれた友人・知人のおかげだと思っています。本当にありがとうございました。

年越しは布団の中で迎えた。保久良山で新年を迎える予定だったが、年越しそばを食べたあと仮眠のつもりで布団に入ったのが良くなかった。目が覚めてスマホを見ると0時20分。新年早々やらかしてしまった。しかしそんな理由でクヨクヨするのも阿呆らしいので、さっさと布団から出て外に出る支度をする。

意外と気温は低くなく、寒さで耳が痛くなるということもない。保久良山への急な坂道を登っていると、じんわりと汗ばむほどである。初詣の参拝者らと入れ違いで登っていく。30分ほどで保久良山に着いた。今年はお神酒の振る舞いがないので、皆んな早々に下山していったらしく、神社の境内も人はまばらだった。保久良神社では、自分とまわりの人たちの無事故をお祈りした。保久良山の山頂に建つ灘の一つ灯は古来より航海の目印となり、船人たちの安全な航海を手助けしてきた。そのような歴史もあり保久良神社では「椎根津彦命(しいねつひこのみこと)」という安全の神様を祀っているのである。今年も自転車・登山、その他事故が起こらないことを願う。

参拝したあと毎日登山の記帳をして、小屋の裏手にある横道を歩いていった。この道は地元の小学生がどんぐりを植樹させる活動のために設けられた道であり、かつて自分も十数年前にここを通ってどんぐりを植えたことがある。以前までは周りに木々が覆いうっそうとしていたが、最近になって整備され、上の方に行くと東灘や大阪方面の街並みがよく見渡せるのだった。適当なところで木段に腰掛け、サコッシュから日本酒を取り出す。六甲山と神戸の街に幸あれ!と、ひとり乾杯をした。神戸と大阪の夜景を眺めていると雪が降り始め、おりしも贅沢な雪見酒となった。f:id:massto0421:20220106073122j:image

帰宅してから2時間ほど仮眠を取って6時ごろに起床。今度は初日の出を見るために、再び保久良山へ登る。毎年初日の出は、小学生時代からの友人たちと一緒に見ることにしている。6時20分に本山第一小学校前に集合。今となっては皆んな居住地がバラバラなので、全員の顔が揃うのは約1年ぶりである。年の始まりに気が置けない友人と一緒に過ごす時間は、他に例えようもないほど尊い時間だ。今年もみんなの元気な姿が見れて心から嬉しかった。1人だけ数年前から別行動になった友人もいるが、時間が経つにつれ友人関係の相性に齟齬が生じるのは仕方ないので、特に気にしない。どこかで元気にやっていればそれでいいと思う。

f:id:massto0421:20220106191116j:image

保久良山は初日の出を見に来た地元の人たちで密集している。我々は前述したどんぐりの植樹の道を上がって日の出を待つことにした。他に待機しているのは数人ほどで、落ち着いて初日の出を拝めそうだ。生駒山方面には少し厚めの雲がかかっていて、日の出には少し時間を要しそうである。気長に待つことにした。やがて徐々に雲の上方から光が溢れ始め、7時半ごろに初日の出を迎えた。

f:id:massto0421:20220106191635j:image

頭上からチラチラと降り落ちる雪が日光に反射し、煌めきながら東灘の街と六甲山を幻想的な風景に変えていく。初日の出は毎年美しいが、2022年は格別だった。

f:id:massto0421:20220106192032j:image

岡本に下りたら摂津本山のマグドに寄って、ぐたぐだ近況報告をするのがいつもの流れだが、今日はすでに行列ができていたので、近くのスタバに入った。男気ジャンケンで見事に一人勝ち、新年早々めでたいめでたい。しかし1年も時間が空けば、皆それなりの事件があったようで、話題に尽きない。彼女ができたり、就職が決まったり、なぜか丸坊主になっていたり……。スタバを出た後も住吉川をふらつきながら色んなことを話した。時折ふざけて住吉川の清流に素足で入ったりもした。来年も再来年も、その次も次の次も…またこうして保久良山に登り、将来を語り、ふざけ合おう。

f:id:massto0421:20220106192229j:imagef:id:massto0421:20220106192225j:image

年の瀬全山縦走(2021/12/31)

2021年を締めくくるために六甲全山縦走へ。本来なら須磨もしくは宝塚からスタートするのがセオリーであるが、電車移動が面倒なので本山スタート。12/16の奈良マラソン以来まともに走っていないので、すぐに息が切れる。おまけに先週、霊仙山の帰りにドブに落っこちて打撲した右太ももが未だに鈍痛を抱えている。今日は少し辛い山行になりそうだ。天上川公園から保久良山まで一息で登り、いつも通り保久良神社の横にある小屋で毎日登山の記帳をした。ハンコ当番でいつもお世話になっているお婆ちゃんがモンロワールのチョコレートをくれた。会うたびにいつもお菓子や果物をくれてありがたい。後々しんどくなるのは嫌なので、保久良山から風吹岩まではゆっくり登る。風吹岩についたとき、空は夜明け前で生駒山方面が徐々に光を帯びている。

f:id:massto0421:20220105070402j:image

横池の分岐を過ぎたあたりで物騒な掲示が。11月に保久良山と風吹岩の間で“クマらしき”動物の目撃情報があったらしい。これを見た瞬間「絶対イノシシやろ!!」とこころの中で突っ込んでしまった。6月に芦屋の城山あたりでクマが出没したニュースは衝撃的で記憶に新しいが、「保久良山と風吹岩の間」という場所柄、イノシシの可能性が高いのではないか。現にここ1ヶ月のあいだ3回ほど風吹岩を訪れたが、決まってクマのようなイノシシが風吹岩のあたりを彷徨いていた。まあ何はともあれ注意深くなるのは悪いことではないので、頭の片隅に置いておくことにした。
f:id:massto0421:20220105070406j:image

太ももの鈍痛と、夏ごろから出始めた足底筋膜炎による踵の痛みで気持ちよく走れない。それでも日の出の時間になると、周りの木々が茜色に染まり始め、日光による温度差で生じた風が森をざわめかせ、これからの素晴らしい一日の始まりを予感させるのである。僕はこの瞬間が何よりも好きで、たびたび夜明け前から山に分け入るのである。f:id:massto0421:20220104204351j:image

本山から1時間45分で六甲山最高峰に到着した。体感的に2時間かかるかと思ったが、案外早くついたのでホッとした。太陽がまだ海面の近くにある時間帯は大阪湾に反射した日光が輝きとても綺麗だ。日が上りきっていないので気温が低く、水蒸気が少ないおかげで和歌山の方まで遠く見渡せるのも、早朝にしか味わえない魅力的な景色である。この日は摩耶山方面もよく見渡せてなかなか良かった。余韻もそこそこに縦走を開始する。f:id:massto0421:20220104204615j:imagef:id:massto0421:20220104204620j:image

それにしても山上は寒い。かといって着込んでしまうと走るうちに暑くなってしまうので、結局のところ下は半ズボンにカーフ、上はTシャツにウインドブレーカー 1枚羽織るいつもの服装となってしまった。大晦日なので山上はいつもの賑わいがなく静まりかえっている。自動車もほとんど走っていないので、わざと車道の真ん中を走ったりして楽しみながら走った。ゆるゆると走ったつもりだったが、摩耶山には家を出てから約3時間で到着。この調子だと8時間で全縦を終えることになりそうだ。f:id:massto0421:20220105115747j:image

特にこれといって用事もないので、あんパンとチョコレートを食べて直ぐに摩耶山を後にした。天狗道の下りはテクニカルなので注意を要する。寒さのせいか身体の硬さを感じるので、いつも以上に慎重に下った。市ケ原に着くまでに2,3グループの登山者とすれ違った。f:id:massto0421:20220105120108j:image

全縦のやく半分にあたる市ケ原に着いたものの殆ど疲労を感じない。これまた寒さの影響で、疲労や痛みに鈍感になっていると思われる。体感に惑わされないように、依然としてゆっくりペースを意識する。

市ケ原から鍋蓋山に至るまでの尾根道は、全縦のコースの中でも特にお気に入りの区間である。緩やかなアップダウンで走りやすいし、展望がいいので神戸市街地を見下ろしながら走るのが気持ちいい。今回のように逆縦走する場合はこれから走る山々が遠望できるのも高揚感を掻き立ててくれる。この日も気分よく市ケ原から天王吊り橋まで一気に駆け抜けた。f:id:massto0421:20220105120637j:image

天王吊り橋から菊水山への登り返しは、斜度はきついものの距離は短いので、あっという間に山頂に到着する。10時ごろで菊水山の山頂には割と人がたくさんいて、思い思いに緩やかに流れる時間を過ごしていた。f:id:massto0421:20220105121447j:image

鵯越駅まで下りてきたが、この辺りで足の疲労を感じ出した。特に以前から調子の悪かった左膝の外側がときおり痛む。これはまずいなと思い、丸山市街地はのんびりウォークに切り替え。歩いていると雪がちらつき始め、同時に風も出始めて寒かった。

妙法寺あたりで友人と合流する予定だったが、当初伝えていた時間より1時間半も早く着きそうだった。その旨を友人に連絡して高取山を目指す。高取山では前日に高齢の方が風に煽られて、山頂付近の展望台から崖下に落下し亡くなられたそうだ。思いもよらない形で事故が起こってしまうのが山である。高取山といえば加藤文太郎も山で命を落としたうちの一人だ。最近になって谷甲州『単独行者』を読んだが、文太郎が山へのめり込んでいく様は異様だった。また後々本の感想を書こうと思う。f:id:massto0421:20220105121421j:image

横尾団地のバス停で友人と落ち合う予定だったが、自分の方が早く着いてしまった。じっと待っておくのも寒いし、先を急ぎたい気持ちがあって、横尾山の登山口までゆっくり歩くことにした。登山口につき10分ほど待っていると友人が走ってきて合流したので再び進み始める。横尾山は逆縦走の場合、最後の難関となる。急登が多いので疲れた足には堪えるのだ。友人を待っている間に休憩できたので、この日は幾分か楽に急登を乗り越えられた。馬の背につく頃には吹雪始め、花崗岩が剥き出した須磨アルプスの迫力が増している。稜線上も風が強く、スリリングな岩歩きを楽しめた。f:id:massto0421:20220105205347j:image

栂尾山の階段を下ってる最中、とうとう左膝が痛くてまともに下れなくなってきた。横歩きでなんとか下まで来れた。おらが山の階段を登り切ればゴールの須磨浦公園までは目前だ。もしおらが茶屋が開いていたらカレーを食べようかとも思っていたが、大晦日なので閉まっていた。旗振山に到着。明石海峡が美しい。須磨浦公園までの階段下りは割と辛い目にあった。とにかく膝が痛い。怪我はしたくないなぁと思っていたが、やらかしてしまった。誤魔化しながらようやく須磨浦公園に到着した。タイムは7時間39分と、そこそこいいペースで年の瀬全縦を走りきった。f:id:massto0421:20220105205306j:imagef:id:massto0421:20220105205808j:image

今年もたくさん遊ばせてもらった六甲山に感謝。これから自分でできる範囲で、少しずつ六甲山に恩返ししていきたい。f:id:massto0421:20220105205526j:image

帰りに「松乃家 板宿店」で食べたカツカレーがめちゃくちゃ美味しかった。