A.Cシム(アレキサンダー・キャメロン・シム)
スコットランド生まれ、イギリス出身の薬剤師、実業家。神戸開港の2年後、1870年に来神し居留地の18番館にシム商会を設立。薬品の輸入・販売をする傍ら、日本初のラムネの製造・販売も手掛ける。
当時、コレラが大流行する中、東京毎日新聞が、「 瓦斯を含有した飲料水を飲むと恐るべきコレラ病にかかること無し」と書いたところ、シム商会の「18番」と呼ばれたラムネが大ヒット。
1870年 スポーツクラブ、「神戸レガッタアンドアスレチッククラブ(KR&AC)を設立。外国人居留遊園(東遊園地)で野球、ラグビー、陸上競技などをしたりと、日本の近代スポーツの普及に大きく貢献した。
社会活動にも努め、居留地の消防隊長やボランティア活動も積極的に参加した。
1900年11月28日、腸チフスにより死亡。現在は修法が原の外国人墓地に眠っている。彼の墓標にはこう書かれている。「彼は男の中の男であった」と。
そんなシムさんは居留地と摩耶山を往復(8.5km)するマラソン大会も開催し、なんと自分自身が優勝してしまいました。
彼の社会的な功績を讃え、摩耶山のマラソンを開催した経緯から“シム記念”が生まれたのです。
何故こんなにも熱く語るのか?そう、私はシムさんのファンなのです!
シムさんのことを知ったのは3年前、今は無き神戸学検定の勉強をしていて知ったのです。シムさんに興味を持った私は彼についてもっと知りたくなり、図書館を回ってシムさんに関する文献を漁ったのはいい思い出。
ですので、この大会は前から本当に出たかったんです。しかし20歳以上でないと出場できないので、コース案内のボランティアなどで関わってきました。
今年でようやく20歳になり念願の出場が叶ったわけです。
というわけで第7回シム記念・摩耶登山マラソン ロングコース(10km)に参加してきました。
当日は神戸高校に集合。室内で着替えや準備を済ませ、荷物はトラックに詰め込みます。
荷物受付からレーススタートまで時間が空くので、気温にもよりますがウインドブレーカー など羽織れるものがあった方がいいです。皆さん手ぶらか、小さいバッグのみです。
第1グループがスタートしました。ロングコースは3グループに分かれ、1グループ約40人で走ります。
短距離でペースが速いので、レース中の写真を撮る余裕がありませんでした。
私は第3グループで出走し、上野道を登り切った時点でグループで2位につけていました。次は桜谷のテクニカルな下りが待ち受けています。写真は試走した時に撮ったもの。このように落ち葉が積もって足場が見えにくくなっています。
下りが苦手な私ですが、アドレナリン効果かこのときはガンガンとばせて、いっときグループ1位に躍り出ます。しかし前半のハイペースがたたり、6km地点の登り返しから失速。後続2、3人ほどに抜かれます。
登り切ったところでシェール道に出ます。ご覧の通り道幅が広くてフラットなので走りやすいのですが、緩い上り基調になっているので地味にしんどい区間。穂高湖の堰堤まで走ります。
ようやく摩耶ドライブウェイに出るが、今度は脇腹が痛くなり走れなくなる。これも多分ハイペースがたたって。ゴールまでに後続4、5人に抜かれてなんとかゴール。
掬星台では炊き出しが行われており、摩耶さんカレーや豚汁を頂きました。
タイムは1時間21分3秒。順位は128人中26位でした。前半で入賞も狙えると思っていただけに悔しい結果となりました。後々知りましたが、私が走っていたグループの1位の方が、全体では11位だったようです。やはりそんなに甘くはないですね。
シムさん好きとして、この大会で入賞するまでリベンジし続けることになりそうです笑
この大会のもう一つの目玉は豪華な景品。ロングもショートも同じものが貰えます。(ファイントラックのフェイスタオルは抽選)。参加費3000円(ショートコース)でこの景品は意味がわからないですw ありがたや〜🙏