自転車で山、海へ行く

山、海、街、自転車、船、本のこと

寂寥の春(2022/04/02)

堺から自転車を走らせて神戸へと帰る道中、武庫川を境に空気が変わるのを実感する。武庫川の北方に視線を投げると、宝塚あたりに六甲山の裾があって、その尾根は西へ伸びるにつれ高度を増していく。空気が変わる。それは六甲山から吹きおろす阪神間特有の風である。風は六甲山の乾いた土の匂いであったり、山に生きる季節の植物から発せられる香りを、私たちの住む山麓の街へ運んでくるのである。夙川育ちの作家 須賀敦子さんも「風がちがうのよ」と言い、阪神間の風や匂いについて自らの経験をもとに力説しておられるのは有名だ。

昨夜も仕事を終えた私は、武庫川あたりでその匂いを感じ、忙しない平日の労いとした。夙川では見事な桜並木が川沿いに連なり、決して長くは続かないその可憐で上品な姿を人々に見せしめていた。f:id:massto0421:20220403172138j:image

夙川の数キロ先には、これまた桜の名所である芦屋川がある。道幅の広い河川敷で、ライトアップされた桜木の下、おもいおもいに花見を楽しむ人が多くいた。私は自転車を橋の欄干に停めて写真を撮り、「いい画が撮れた」と満悦して本山の方へと帰っていった。f:id:massto0421:20220403172201j:image

行きつけのスーパーマーケットの大きな看板が見えたとき、ふいに胸中に迫る寂しさが込み上げてきた。この街のなんということもない生活風景が、今春に街を出ていった同級生たちの不在を、否応なしに突きつけてきたのである。そのなかには特段親しいわけでもない人も含まれるのだが、親密度に関わらず、この街に住む同級生もずいぶんと少なくなってしまった事実が、どうしようもなく寂しい心持ちにさせた。帰ってきたはずの本山の街は、旅先で訪れた見慣れぬ街のように、どこかよそよそしい雰囲気をしていた。

保久良神社へとつづく参道、もとい登山道沿いには、今年も色鮮やかな桜の花が咲いている。街からその緑色と桃色のコントラストを眺める。あるいは桜並木の登山道を歩きながら、街から聴こえてくる“だんじり”の半鐘の音色に耳をかたむける。そのようなひと時ほど、春の到来を感じさせるものはない。街を出ていった同級生たちが再び保久良の桜並木を目にし、だんじりの音色を耳にし、春の訪れを悦べるような日がくることを、私はこの街に帰ってくるたびに願い続けるだろう。f:id:massto0421:20220403172328j:image