茄子がままに

週末の山遊び、街遊び、自転車遊びのこと。ホームマウンテンは六甲山です。

海岸列車・浜坂旅情(2022/5/2)

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初夏の訪れを予感させるような新緑の山中を、播但線の朱い列車はゴトゴトと走る。連休真っ只中だというのに、車内には地元の高校生でひしめき合っている。校名の刺繍が入った大きなカバンや、車両の天井に届きそうな薙刀らしき長物を持っている様子から、部活生と思われる。車窓から見える青々とした田園といい、どこか既視感のある光景だなと考えていたが、それは信州安曇野大糸線と同じ光景だった。昨夏の常念山脈縦走のとき、地元の高校生に混じって列車から安曇野の田園を眺めていたのを思い出した。
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城崎に着くころには、高校生はほとんど下車しており、車内には城崎温泉の観光客と思しき人々しか居なかった。城崎でいったん下車し、山陰本線に乗り換える。

山陰本線に乗っていると、宮本輝『海岸列車』の“明るい海と暗いトンネルが交錯する人生の縮図”のようだと喩えた一節が思い起こされる。このとおり、城崎駅から出発してしばらくするとトンネルが断続的につづき、間々で日本海がパッと開ける瞬間がある。まるでストロボ写真の発光のように視界は明滅し、どこか非日常の世界へ連れて行ってくれるような気にさせてくれる。いくつめのトンネルを抜けた後だったろうか。「まもなく鎧、鎧駅です」という車内アナウンスが流れ、ふと窓の外に視線を向けると、そこには小さな入江を取り囲むように集落があった。f:id:massto0421:20220826120608j:image

トンネルを抜けると、高架のようになった鉄路の下に鎧の村が見え、列車は速度を弱めた。夏彦は立ち上がり、そっと指差して、「あれが鎧の村だよ」と澄子に教えた。

『海岸列車』はここ、鎧駅を軸に物語が展開する。夏彦とかおりの兄妹は、生き別れた母の住む鎧の村を心の拠り所にしながら、別々の道を歩みひとりの人間として自立していく。物語はバブルに湧く高度成長期の日本を描いているが、作中において終始ただよう湿った空気感や、夏彦とかおりが共通して持っている暗い陰のような雰囲気は、まさにこの日本海に面した小さな漁村の冬景色を思わせた。

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目的地の浜坂に到着したのは昼頃だった。ちょうどいい具合に腹も空いてきたので、駅の近くにあるうどん屋「あづま」に入店し、かきたまうどんを注文する。4年前、神戸の和田岬から浜坂まで兵庫縦断した時も同じうどん屋に入ったが、甘めの出汁はあの時と変わらない懐かしい味がした。

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お腹も満たされたところで、再び浜坂駅に向かった。駅の向かいにある土産屋には魚が網で干されており、漁村らしい光景が旅情をそそる。浜坂駅のすぐ横には公衆の足湯があり、地元のお婆ちゃんたちの、たわいのない会話を聞きながら湯に浸かるひとときは平穏そのものだった。f:id:massto0421:20220826120423j:image

旅行に求めるものは人それぞれである。グルメを楽しむ人もいれば、有名な観光地を訪れることを目的とする人もいるだろう。私の場合はその土地の生活感あふれる光景を目にしたき悦びを感じる。足湯に浸かって談笑するお婆ちゃん、平屋の軒下でなわとびをする女の子、海産市場でせっせと魚の荷揚げをしているお兄さん。飾らない土地本来の姿というのは、やはりそこに住む人々に宿るものである。

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浜坂を訪れたらぜひ寄ってもらいたい場所が加藤文太郎記念図書館である。当ブログでもお馴染みの加藤文太郎の出身地が浜坂であり、町の図書館には彼の名が冠されている。一階は一般的な図書館になっているが、二階に上がると階段の踊り場で加藤文太郎レリーフが出迎えてくれ、その奥に関連資料や書籍が常設されている。

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木製のスキー、アザラシの毛皮製のシール、牛皮製の登山靴(サイズは28.5cmと相当大きい)、鉄製のピッケルなど、当時の装備がずらっと展示されており見応えがある。機能性という面では現代の登山装備と比べると心もとなく、重量も重い。よくぞこの時代の装備で、しかも単独でアルプスを歩き回ったなと、彼の力強さを目の当たりにする。そんな彼の手帳には登山口へ向かうための列車の時刻などが細かくメモされており、お世辞にも綺麗とは言えない字に、ひとかどの温かい人間性のようなものを感じたりもした。f:id:massto0421:20220825121051j:imagef:id:massto0421:20220825121112j:imagef:id:massto0421:20220825121105j:imagef:id:massto0421:20220825121121j:imagef:id:massto0421:20220825121048j:image

図書館を出てからは加藤文太郎のお墓参りに行き、家から持ってきた個包装の甘納豆を墓前にお供えした。30歳という若さで北鎌尾根に命を賭した彼の生き様は、長い年月を経てもなお色褪せることはなく多くの登山家を魅了しつづけるだろう。f:id:massto0421:20220828160820j:imagef:id:massto0421:20220828161149j:image