茄子がままに

週末の山遊び、街遊び、自転車遊びのこと。ホームマウンテンは六甲山です。

大峯奥駈道2泊3日②(2023/05/3〜5)

大峯奥駈道2日目

3:05 行者還避難小屋 出発

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日をまたぐ縦走の場合2日目になるとペースが大幅に落ちる傾向がある。そのため計画では4時に出発する予定だったが、約1時間ほど前倒しで出発した。外の気温は15℃ほど。寒すぎず暑すぎず丁度いい気温。 

4:30 弁天の森

標識のフォントがおどろおどろしい。修験道の険しいイメージを持たせたかったのかもしれないが、これは少しズレてるような…。西の空が明るくなり始め樹々のシルエットが浮かび上がる。
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弥山の手前でご来光を迎える。山深い環境で見るご来光はいつにも増して有り難く感じられる。また幸運にも雲海が出ており、5分ほど立ち止まり魅入っていた。背後にはご来光に照らされた弥山が大きく聳えていた。
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5:21 弥山(1895m)
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山頂付近のキャンプ場には多くのテントが張られていた。やはり人がいると安心感がある。弥山周辺は天然記念物に指定されているオオヤマレンゲの自生地となっており、7月上旬になると花を咲かせるらしい。弥山から八経ヶ岳にかけてシカの食害から守るために保護策が設置されている。
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とは言えシカの食害は凄まじく、柵外の樹々はみな樹皮を食い荒らされて殺伐とした景観を作り出している。もちろんシカにとっては生きていくための死活問題であり悪者扱いにする必要はないが、増えすぎるのは人間にとってもシカにとっても良くないことである。人間、シカ、植物がお互いに共存していくためには、駆除もせざるを得ないのだろう。

5:47 八経ヶ岳(1915m)
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言わずと知れた近畿最高峰の山である。これまで歩いてきた道のり、これから歩いてゆく道のりが一望できた。
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明星ヶ岳から仏生ヶ岳までなだらかで走りやすい尾根道が続く。2日目は1.5Lの水を持ってスタートしたが残り少なくなってきた。想定していたよりも水の消費が早い。
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7:55 仏生ヶ岳(1804m) 

三角点は縦走路から少し外れた場所にある。
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ヤマレコのマップ上と、山と高原地図を見る限りでは仏生ヶ岳と孔雀岳の中間地点に水場があるようなので、そこで水を補給する算段だった。しかし水場が枯れている可能性も考えて、今残っている300mlほどの水を飲み切ってしまうわけにはいかなかった。仏生ヶ岳から歩いていると向かい側から男性が歩いてきたので、この先の水場の状態を聞いてみた。どうやら水はしっかり出ていて登山道沿いの見つけやすい場所にあるとのことだったので安心した。
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15分ほどさらに歩いてようやく水場にありついた。ヤマレコのマップに表示されている水場のマークからは少し外れていたので注意。手拭いを濡らして顔と体を拭くととても気持ちがいい。次に水を補給する予定の場所は持経の宿である。CT0.7のペースで約4時間ほど。そこまで保つようにボトルとウォーターキャリーに総量1.5L入れた。
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橡の鼻から次なるピーク釈迦岳をのぞむ。弥山から見た時も感じたが、釈迦岳の頂はまるで槍ヶ岳のように鋭く尖っており、かなりの急峻な坂道が待ち受けてると想像される。
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釈迦岳の登りにとりつくと想像どおりの道だった。鎖場も出てきてほぼ岩登りといった感じ。全行程を振り返っても一番急な登りだったと思う。2日目がスタートして6時間。疲労が顕著に現れ始めていた。

9:38 釈迦岳

急登を登りきった先で出迎えてくれたのは2匹の芝犬だった。こんな急な道をどうやって登ってきたのだろうと飼い主さんに聞くと、太古の辻方面から登ってきたとのこと。私が登ってきた側よりは緩やからしいがそれでも驚いた。わしゃわしゃすると喜んでくれる姿が愛おしい。おかげで幾分か疲れが吹っ飛んだような気がした。
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9:57 深仙の宿

10畳あるかどうかの簡素な小屋である。ここから10分ほど縦走路を外れたところに「香精水」という水場があるが今回はスルー。
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行場で有名な大日岳を過ぎると太古の辻。「これより大峯南奥駈道」という標識が立っている。ここが大峯奥駈道の全行程の中間地点にあたり、標識にも書かれているとおり南奥駈道となる。山行計画を立てる際にネットで他の方のブログなどを読んできたが、南奥駈道の方がキツいという声が多かった。確かに振り返ると南奥駈道からの道のりの方が辛かった記憶があるが、縦走の後半なので疲労が溜まっている分そう感じられるのではないかと思う。
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そして今まさに疲労がピークを迎えており、南奥駈道に入って最初の天狗山までの登りは全くペースが上がらなかった。いつもなら一息で登れるような坂道も、途中で立ち止まってしまうことが多くなってきた。

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11:46 地蔵岳(1463m)

別名は奥森岳というらしい。実はこの先にも地蔵岳という名前の山があり、そこと区別をつけるために別名が付けられたのかもしれない。
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南奥駈道に入ってから単調かつそれなりに激しいアップダウンが連続し体力面、精神面ともに我慢を強いられる。涅槃岳(1373m)、証誠無漏岳(1299m)、阿須迦利岳(1250m)という独特な名前の山を超えていく。
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13:32 持経の宿(1049m)
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単調なアップダウンの連続にやられ、持経の宿に着くなりザックを下ろして道端に座り込んだ。2日目は計画よりも1時間早く出発したが、今の時点で当初の予定より20分遅く到着していた。機会的にザックからじゃがりことドライフルーツを取り出し口に運ぶ。疲れているからこそ補給を怠ってはならない。途中で抜かしてきた他の登山者たちも追いついてきた。孔雀岳手前の水場で補給した水もそろそろ無くなりかけていたので、持経の宿から500mほど離れた水場へ補給しに行くことにした。今はたった500m歩くだけでも気が滅入る。写真は撮り忘れたがここの水場は水量が豊富であるため、飲料用を補給した後に軽く水浴びした。火照った身体が冷めていくと元気が湧いてくる。水の力はすごいなとしみじみ思う。2日目に宿泊する予定の行仙宿で水を補給できるか不安だったので3L補給した。

14:45 平治の宿(1148m)
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持経の宿で長めの休憩を取ったこともあり少しペースが復活する。今日の行程は残り5km。自らを鼓舞しながら気力頼りに歩く。
16:30 怒田宿跡f:id:massto0421:20230903094858j:image

計画ではここから1.5kmほど先にある行仙宿で泊まる予定だったが、前日の行者還避難小屋で色々とストレスだったこともあり、ここで幕営することにした。怒田宿跡はビバークの適地であるため自分以外にも数人ここでテントを張る人たちがいた。クロスオーバードームを設営し夕食の準備をしていると、5,6人ほどのファストハイカーがやって来た。頑強なふくらはぎと装備類、そしてその歩く速さからして相当な強者と思われる。よくよく見ると“KLTR”と印字されたTシャツを着ていて合点した。KLTRとは那智勝浦から敦賀の気比の浜まで約450kmを縦断する草レースである。関西在住のTJAR有志が立ち上げたそうである。その歩く姿を見送り、早々と就寝についた。