3:30ごろに目が覚めた。大天荘のテン場は標高が高いこともあり毎回眠りが浅いのだが、昨晩は割としっかり眠れた気がする。テントを撤収してから再び大天井岳の山頂へ向かった。初めて大天井岳を訪れたときのご来光は、眼下の安曇野や松本の町を埋め尽くすかぎりの雲海が広がっており、いまだにその光景が鮮烈に脳裏に焼きついている。今朝はというと残念ながら雲海は出ておらず少し物足りなさを感じる日の出だった。これでも充分美しいのだが、ここ数年アルプスに通ううちに絶景慣れしてしまったようである。
5:10 大天荘出発
大天荘から常念小屋までの稜線歩きはパノラマ銀座のコース上で最も好きな区間だ。起伏はなだらかで、西側には絶えず槍穂高の悠然とした姿を拝むことができる。また東天井岳あたりは雷鳥がよく出没しこれまでにも何回か遭遇しているのだが、今回も目にすることができた。
横通岳を過ぎると常念岳の全貌があらわになる。均整のとれた三角錐で眺める分にはいい山だ。横通岳と常念岳の鞍部に見える赤い屋根は常念小屋である。
7:08 常念小屋(2450m)
常念小屋に着くや否や、私はザックから一冊の本を取り出した。山岳写真家、または安曇野のナチュラリストとして知られる田淵行男の『山の季節』だ。著者は特徴的な雪形を探す趣味も持っており、中でもここ常念乗越から見た中岳の雪形を「中岳の舞姫」と名付けた。小学館から出版された文庫版『山の季節』には、その中岳の舞姫の写真とともに田淵が記した一編の詩が添えられているのだ。詳細については以前書いた記事「残雪の幻想(2022/07/09,10) - 自転車で山、海へ行く」 に書いたので割愛する。
常念小屋で10分ほど休憩してから常念岳へのアタックを開始した。常念小屋から見上げる常念岳はまるで垂直の壁のように聳えている。登る前から登山者の心をへし折りに来るのだ。
序盤から九十九折りが連続する。このような急登は息を切らさない程度にジワジワと登っていくのが結果的に一番速い。山頂手前の小ピークで小休憩を挟みつつパノラマ銀座の核心部となる常念岳の山頂に立った。
8:22 常念岳(2857m)
常念岳の上高地側の尾根は砂礫まじりのガレ場で大変滑りやすい。パノラマ銀座のコース上で最も気を使う区間である。下りながら前方に見えてくるのは蝶槍のピーク。その手前は標高2500m付近にも関わらず南アルプスのように樹林帯となっており緑が濃い。蝶槍の向こうに伸びている稜線の先に蝶ヶ岳のピークがある。
樹林帯を抜けて蝶槍の急登を登り切ると蝶ヶ岳はもう目の前だ。先ほど下りてきた常念岳の急峻な山容とは対照的に、なだらかな稜線が蝶ヶ岳のピークまで伸びている。蝶ヶ岳の名前の由来となった東面の雪渓は少し残っているが、蝶の形からは程遠い様子だった。写真中央の蝶ヶ岳から左に伸びていく稜線の先に見えるのは大滝山で、その尾根伝いに下ると徳本峠へと至る。まだ歩いたことのないルートなので気になる。今回は右に伸びるのは長堀山を経由して徳沢へと下山する。
蝶ヶ岳ヒュッテには11:15ごろに到着。最後の長い下りに向けて体制を整える。売店でコーラを買いたかったがTJARのルールを課していたので我慢した。代わりにドライタイプの甘酒をボトルに入った水に溶かして飲んだ。甘酒は今回初めて導入してみたのだが、優しい甘みがなかなかいける。ただし持ち運びには少しかさばる上に、ボトルに酒粕が残りやや不衛生感があるため、次回以降の山行に持って行くかは悩みどころだった。
15分ほど蝶ヶ岳ヒュッテで休憩したのち、徳沢へ向けて下山を開始する。コースタイムにして2時間45分とそこそこ長い行程だ。しかし単調な樹林帯の下山はコースタイム以上に時間が長く感じられる。結果として徳沢に到着したのは蝶ヶ岳ヒュッテを出発して2時間20分後のことだった。
14:00 徳沢園
長い樹林帯を降りてきて徳沢園に着いたときの安堵感はひとしおである。皆で楽しみにしていた徳沢名物のソフトクリームをいただいた。Kさんはコーヒーフロートを頼んでいたがそれも美味しそうだった。自分は下山するまで我慢していたコーラを自販機で買ってコークフロート風に。澄んだ山の空気を吸いながら食べる甘味はたまらなく美味しかった。
徳沢で元気になったところで、河童橋まで再び7kmほど歩く。上高地の新緑はちょうど見ごろを迎え、遊歩道に立ち並ぶハルニレなどの葉の透明感はたとえようもなく美しい。また遊歩道の隙間から時折見える明神岳などにはまだ残雪や、そのふもとを流れる青々とした梓川の清流などに癒され、歩いていて本当に気持ちのいい季節だった。
パノラマ銀座はこれまでに何度も歩いたコースで慣れていたものの、誰かと歩くことでまた違った新鮮な楽しみを味わえた。梅雨間に見せてくれた北アルプスの美しい自然に尾を引きつつ新島々行きのバスに乗り込んだ。