茄子がままに

週末の山遊び、街遊び、自転車遊びのこと。ホームマウンテンは六甲山です。

栂海新道から白馬岳②(2022/08/13,14)

親不知海岸から標高2418mの朝日岳まで、約27kmつづく栂海新道が開通したのは1971年。北アルプスの登山史としてはごくごく最近の話である。地元の電気技術者である小野健さんを筆頭に「さわがに山岳会」のメンバーの手作業によって開通された。藪刈り中に富山営林署から国有林の盗伐疑惑がかけられたりしながらも、1人の青年が抱いた「日本海とアルプスを繋ぐ」という野望は11年の苦節を経てついに実現したのだった。f:id:massto0421:20230305091210j:image栂海山荘からすこし離れた道沿いに小野健さんの顕彰碑が建っていた。人々は短い生涯のなかで、自らが生きた証を世に残したいと本能的に思うものである。その典型が子どもと言える。子を残すことは自分がこの世に存在していた証に他ならない。小野さんにとって栂海新道とは生きた証、ひいては自らの子どもであるに違いない。(ちなみに子供にも“栂海”と名付けている)朝日小屋の前で微笑む小野さんの表情は、まさに子を慈しむ母親のそれであった。

標高1540mの栂海山荘から先は視界が開けて気持ちのいい稜線がつづく。1593m 犬ヶ岳、1612m サワガニ山を通過。栂海新道の各ピークには鉄板をガスでくり抜いた手づくりの看板が建てられていて、少し焦げついた跡など非常に味わい深い外観でおもしろい。
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さわがに山から少し先を歩くと湿地帯が見え、その先には栂海新道と中俣新道との合流地点にあたる黒岩山が確認できる。黒岩山から先はガスで覆われてよく見えない。

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16:06 黒岩山(1623m)に到着。栂海新道は1本道なので道迷いの心配は少ないが、黒岩山から吹き上げのコルまでの湿原はすこし分かりづらい地形となっている。この先さらにガスが濃くなっているので、念のため地図を確認しながら進んでいく。この湿原は高山植物の宝庫でもあり、イワギキョウや綿毛になったチングルマが道中で癒しを与えてくれる。ふと地面を見ると動物の糞が落ちていた。サイズは小さめで臭いはないのでシカなどの草食動物だろうか。クマでないことを祈る。
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湿地帯では高山植物保護のために木道が設けられており歩きやすい。親不知から約25kmほど歩いてきたのでそろそろ疲れが表れはじめ、なかなかペースが上がらない。序盤のCT0.6ペースを維持するのは厳しそうだった。もともとCT0.7で計画を立てているので時間的には問題なかった。
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重なる疲労に反して、私は心からこの山行を楽しみ味わっていた。親不知からここまで3,4組ほどのグループしかすれ違わず、夏の北アルプスとは思えないほど静かな道のり。何を考えるでもなく一人黙々と歩く時間が好きだったと改めて感じる。栂海新道はパノラマ銀座のような華々しい展望があるわけでもなく、剱岳のようにスリリングで昂ぶるような岩場があるわけでも無い。しかし日本海から繋がる一連の物語性があり、手つかずの自然があり、静かな時間が流れている。それらを独り占めできるのはこの上なく贅沢なことであると、歩きながらしみじみ思った。
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振り返れば遠く向こうに日本海が見える。随分と歩いてきたものだ。背の高い樹木はとうに姿を消し、徐々にアルプスらしい様相になりつつある。17:57 長栂山(2267m)に到着。ここに来てようやく栂海新道の終点となる朝日岳の山容が顕になった。
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蓮華温泉との分岐にあたる吹上のコルに着く頃には、徐々に陽が傾きつつあった。また日本海側から吹き上げる風に重みが増し、すこし肌寒い。ウインドブレーカーと兼用しているレインウェアを羽織って、朝日岳の最後の登りを迎えた。
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19:03 朝日岳(2418m)に到着。日本海から11時間。長い長い道のりだった。山頂からは黒部周辺の街の灯りが、その向こうには富山湾が見えて、どこかホッとするような安堵感に包まれた。当初の計画ではこのまま雪倉岳の避難小屋まで歩き通すつもりだったが、予想以上の疲労と水不足が懸念されたため、いったん朝日小屋に立ち寄り、体制を整えることにした。
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山頂から約20分ほど北側の斜面を下ると、闇夜に朝日小屋のシルエットがぼやっと浮き上がってきた。小屋近くまで来たとき、向こう側からヘッドライトの明かりがこちらにやって来た。明かりの正体は朝日小屋の女将さんのものだった。小屋の中から私のヘッドライトの明かりを見つけ、気になって外に出てきたらしい。登山者の安全を何より一番に考えられている女将さんからは、私が親不知を8時ごろ出発したことに対してお叱りをいただいた。栂海新道の標準コースタイムは約19時間であり、通しで歩く場合はたいてい早朝3時には親不知を出発するのがセオリーのようである。朝日小屋には富山県警所属山岳駐在員のNさんがおられ、やはり単独での夜間行動のリスクについてお話しをされていた。もちろん自分の中ではそのリスクを踏まえた上で慎重に行動しているわけだが、日頃から山岳救助している立場から見ると、単独の夜間行動はリスクが大きいのであろう。ひとまず今持っている装備一式と、夜間行動のリスクを把握している旨を伝えると、こちらの意見も尊重していただき、下山後の連絡を条件に、この後の山行計画に沿って行動する許可をいただけた。
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朝日小屋ではコーラとカップラーメンを購入。オマケにおにぎりをご馳走になり、有難いことこの上ない。またテント場で仮眠をとるつもりだったが、Nさんと女将さんのご好意により炊事場で寝ていいよと言っていただいた。おかげでテントを設営する手間が省け、快適な寝床にありつけた。ここまで殆ど人と出会うことがなかったので暖かさが心身に沁みる。いつの日か、必ずまた朝日小屋に行って宿泊したいという気持ちになった。
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