2時間ほど仮眠し23時に朝日小屋を出発。あまり眠れなかったものの十分身体を休められたので足取りは軽い。気温はさほど低くないが、ときおり日本海側から突風が吹き付けるため、ウインドブレーカー代わりにしているレインジャケットを羽織って次の目標となる雪倉岳を目指す。
雪倉岳手前の稜線に達すると先ほどまで断続的だった突風が、常時吹きつける爆風に代わり、恐怖感を覚えるほどだった。撤退が脳裏をかすめたが進めないほどではなかった。加えてこの先の道に危険箇所は無かったと記憶しているので、とりあえず先へ進むことにした。爆風に煽られジワジワと体力が削られながらも1:40に雪倉岳(2608m)に登頂。平面的な山頂なのでどこに三角点があるか分からなかった。続いて2:00ごろに当初泊まる予定だった雪倉岳避難小屋に到着。この先から爆風はさらに重みを増していく。
雪倉岳避難小屋から白馬岳手前の三国境まではとにかく我慢。爆風、疲労、眠気との闘いであったと思う。この区間は眠気がひどくあまり記憶がない。三国境に着いたころ眠気がピークに達した。爆風のなかこのまま歩くのは危ないと判断し、ハイマツの影に身体を埋めて目をつむった。10分ほどそうすることで眠気はややマシになった。また少しずつ空が明るくなり始めたことで気持ちも上向き始め、白馬岳までの最後の稜線歩きを開始した。
空が明るくなったことで周囲の状況が明らかになった。相変わらず風は強くガスっているものの、幸いにも本格的な雨は降っておらず、終始霧雨に留まってくれた。これで雨も降っているようであれば悲惨な状態になっていたに違いない。ノロノロとガレ場を登り5:00にようやく白馬岳(2931m)に登頂した。日本海を出発してから約21時間が経過していた。達成感よりも、やっと着いたという安堵感のほうが強かった。
白馬頂上宿舎に宿泊していた男性が山頂まで上がってきていたので、記念に写真を撮ってもらい山頂をあとにした。頂上宿舎まで下ると風はずいぶんと弱まり、ようやく一息つくことができた。当初の予定では、この先の杓子岳、白馬鑓ヶ岳、いわゆる白馬三山にも登る予定だったが、白馬岳周辺の蛇紋岩は雨に濡れると特に滑りやすいと聞いていたので、そのまま大雪渓の方へと下ることにした。
標高2500mあたりまで下ると徐々に晴れ間が見えだした。どうやらガスっていたのは頂上付近だけのようである。振り返ると雄大なカールが壁のように迫り圧倒される。雪渓の移動によって削り取られたその地形は、白馬岳の歴史そのものが転写されている。あれだけ苦しめられた稜線も今となっては名残惜しい気持ちで、幾度となく振り返りながらガレ場を降りていった。
やがて眼下に見えてきたのは白馬岳の象徴とも言える白馬大雪渓である。ちょうど晴れ間から日光が差し込み、白い雪の表面を照らしていた。もう9月なので雪渓がいちばん溶けている時期にはなるが、それでも今まで見た雪渓の中ではいちばん大きい。
雪渓の手前で6本爪の軽アイゼンを装着し雪渓歩きを開始。茶色くなっている部分は多くの登山者が歩いた形跡であろう。凹凸がいい具合に足の置き場となるためアイゼンを装着していれば転ぶ心配は無さそうである。しかし下るにつれて徐々に傾斜がキツくなってくるので油断は禁物である。また遠くの崖下では落石が発生しており岩が転がっていく様子が見られた。雪渓上にも大小の岩が点在していることから、落石多発地帯であることが分かる。あまりのんびり歩くのも躊躇われる区間だった。
無事に雪渓区間を終え、白馬尻小屋まで下ってきた。北股入の清流が流れていく音を聴きながらさらに歩くこと数十分で猿倉荘に到着した。白馬駅行きのバスが中途半端な時間なので、残りのロード区間約15kmも小走りで向かうことになった。
白馬岳から流れる北股入は、唐松岳から流れる松川と合流し、その勢いを増しながら日本海を目指す。24時間で得た獲得標高はこれまでの山行で最も多く、身体と脚はそれなりに疲弊していた。松川の流れに身を投じるように、長い下り坂をひたすら惰性に任せて白馬の町へと下っていった。